生成AIは人を幸せにするか

OpenAI者のchatGPTに端を発しGoogle者のBird・MicrosoftのBingと続々と生成AIのプロンプトが一般利用できるようになった。

自分の仕事がAIに奪われてしまう、と不安になった人々も少なくない。

確かに多くの情報を持ち、簡単な言葉で情報を引き出せるAIはすごい。

今や、何でもAI搭載を売り文句にあらゆる製品が続々と発表・発売される。

果たしてAIは私達の生活を豊かにし、より安全で快適なくらしを提供してくれるのだろうか。

一部のコンピュータ関連、特にソフトウェアに携わる仕事を生業としている人たちにとってAIは脅威であり、関係の無い人たちにとっては色々なことを自立して行ってくれる便利なツールと思い込んでいる。

しかし、よく考えてほしい。現時点の生成AIは知っていることしかできない。何かを創出することは人間だけができる唯一無二の行為である。そのおかげで現代の社会生活を作り出すことができた。

炊飯器や洗濯機でAIはどんな便利なことを提供してくれるのか。

お米を研がなくても炊飯器が自動的に判断しお米を研いだ後に炊飯を初めてくれるのか?服の汚れが酷い部分を見つけ集中的に部分洗いをしてくれるのか?

そんなことはできない。

ブームやトレンドに盲目的になる愚かな人間が如何に多いかを企業は知っている。

AI搭載とキャッチコピーにつけるだけで、他の商品と差別化され、なにかすごいことをやってくれると勝手に思い込んでしまう。

 

新しい店ができると行列ができる。しかしその店があることに慣れてしまうと見向きもしなくなる。同じことが生成AIに当てはまるとすれば、今はみなが飛びつき企業はシェアの取り合いにやっきになり次々とアイディアが具現化され発展している段階である。これが日常となったとき、その生存価値に人々は興味を持つだろうか。

興味を失ったとき、ビジネスにならないことに投資する企業がどれだけ生き残り、より人々にとって有益な研究が行われ、次の時代に進むことができるのか。